皇位継承を巡って問われるべきは具体的な安定策
先頃、「皇位継承と男女平等は無関係だ」
「一般国民の男を皇族にした例は一度もない」などという
記事を見かけた(「SPA!」8月8日号)。皇位継承問題の“入口”において、「男女平等」が
一義的には元々「無関係」というのは、広く共有されている
理解ではないか。一夫一婦制なのに「男系男子」限定というミスマッチな
ルールに拘ると、皇位継承が行き詰まり、皇室の存続自体も
危うくなる。だから皇室の弥栄の為にそれを解除して、女性天皇·女系天皇も
可能な制度に切り換える差し迫った必要性がある、
という至ってシンプルな話。それを邪魔しているのが、自覚されざる「男尊女卑」の観念なので、
“出口”としてそれが批判されてきたという経緯だ。又、前近代において「一般国民の男を皇族にした例は一度もない」
というが、一般国民の女性も同様だった。
例えば、皇族以外で初めて「皇后」になったとされる光明皇后の場合も、
皇族の身分は取得していない(この辺りについては2月7日公開の
ブログ「意外と知られていない、光明皇后は皇族ではなかった!」参照)。
そうした事実が過去にあっても、現在、元は国民であられた皇后陛下や
上皇后陛下、宮家の妃殿下方が皇族でいらっしゃることに
違和感を抱く国民は、まずいないはずだ。だから今後、皇室典範が改正されて、国民男性がご婚姻によって
皇族の身分を取得されても、多くの国民はそれを当たり前の
こととして受け入れるだろう。先の記事では、女性の場合“だけ”は前近代から既に国民から皇族への
身分の転換があったと言いたいのか、西園寺寧子(広義門院)の事例を
取り上げている。
だが、この女性が歴史において果たした役割は、まさに異例中の異例、
空前絶後の政治的アクロバット以外の何ものでもなかった。
こうした、飛び抜けて常軌を逸した史上唯一(!)の事例を
敢えて持ち出さざるを得ない時点で、既にアウト。しかも、事実上の“治天(ちてん)の君(きみ)”として
振る舞うことを、やむを得ない政治状況によって余儀
なくされながら、身分そのものはやはり皇族になっていないので、
残念ながら全く反証になっていない。
そのことは、先の記事でも「皇族として“扱われた”」という
苦しい表現に逃げているので、書き手も恐らく分かっているのではないか。その他にも風変わりな意見が述べられていたが、
一定の知性を備えた読者ならそれによって間違った理解に
陥るおそれは、ほぼないだろう。皇位継承問題を巡っては、目の前の危機を直視し、
皇位継承の将来が少しでも安定的なものとなるよう、
前向きな具体策こそが語られるべきだ。そこに関心を寄せない言説は、
およそ共通の土俵に立っていない、と言う他ない。【高森明勅公式サイト】
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